2025年9月28日日曜日

10月のツアーカレンダー

 みなさま

 いつもありがとうございます。森と星の案内人の横山です。

 10月のカレンダーをお送りします。ひどかった暑さも過ぎてだんだんいい季節になっていきますね。一緒に森や星にあいに出かけませんか。

(クリックで大きくなります、各ツアーの詳細をご覧いただくにはこちらから)


 1か月ぐらい季節が早くやってくる大川山の頂上付近は、既に一部の木々は紅葉していますが、10月に入るとさらに紅葉していきます。

 どの木も草もそれぞれの姿・彩りに変わっていきますが、私は透明感のあるシラキの紅葉やシロモジの黄葉が好きです。もちろんカエデ類やウルシの仲間、コナラなどの色づきも素敵です。一本の木でも場所によって紅葉の度合いがいろいろなのもいいですよね。

シラキ(2023年10月)


3つに分かれた黄色い葉がシロモジ
(2022年10月)

 紅葉・落葉がはじまると森の中の見通しが良くなって小鳥たちが見やすくなるのも嬉しいポイントです。

■後記
 季節は駆け足で過ぎていきます。出かけてみたいと思われた時がベストタイミング、自然を満喫する秋をお過ごしになってください。
 6月から募集している、森で自分の心と向き合うツアーのモニターもまだ募集中ですので、ご興味ある方ぜひお問い合わせください。

2025年9月23日火曜日

大衆食堂で「我に返る」

 学びのため、日帰りで京都の龍谷大学へ。
 お昼を食べに入ったのは昔ながらの大衆食堂。シニアのご夫婦で営まれているようです。

 先客が3組ほど、私に続けてさらに3組ほどのお客さんが入ってきました。

 注文取りや配膳で奥さんが少しずつテンパり気味になっていくのがわかります。

 厨房に戻って早口で注文を伝える奥さんに、ご主人がしずかに一言。


「あせらんでもええ、できんもんはできん」


 その言葉が聞こえた瞬間、私まで「そうそう、そうだよね」と、ほっとした心持ちに。

 ほっ、としたのは、無意識に奥さんに同調していた自分の心が、ご主人の一言で、はっと「我に返った」からかもしれません。

 学びの味も加わった親子丼でした。

親子丼 620円

龍谷大学(大宮キャンパス)
建物も門も重要文化財だそうです

2025年9月20日土曜日

おいしいとまずいの境界にあるもの

 毎年、秋が始まる頃に、自宅の庭に出現なさるこの方たち。
 
2022年9月(6つ出てます)

 オニフスベというキノコです。
 大きいものはほぼバレーボール大になります。
 

 このオニフスベ、幼菌(出てきたばかりのもの)は食べられるそうです。

 実は去年も試食にチャレンジしていて「もういいかな」という感想だったのですが、、、
 今年は「食べてみて~」と言わんばかり、クープ(切れ込み)入りのパンのような姿になってました。

 
 そうですか、今年も食べてみましょう。収穫してスライスしてバターと塩でソテーします。 
 


見た目はこんがりきつね色、本当においしそうです。いただきます!


 「あ、おいし…、…ん?ん~~」

 バター&塩の味がおいしいのですが、あくまでバターと塩の味。
 キノコ自体は食感はふにゃふにゃ、おいしくもまずくもなく、味がしないようで、そこはかとない「ほこり臭」のような鼻に抜けるかおりが…ちょっとまずい寄りかも。

 「頑張って」一切れ食べて終わりにしました。やっぱり、あえて食べる必要はなさそうです(終)。
 
※念の為ですが、よくわからないキノコをたべるのはとても危険ですので、おやめください。 

2025年9月18日木曜日

  昨日(9/17)は、まんのう町の人気のカフェ「季節を食べる食卓numar」さんのご飯つき森さんぽでした。

 numarはご主人淵上さんのつくるお料理と奥様かおりさんのつくるスイーツがとっても人気です。お二人とも自然がお好きなこともあり、無理をお願いして店休日にたまに開催させていただいております。

 集合は9時、遠くはさぬき市からもお越しいただきました。今回は定員4名様中3名様が初めてのご参加です。numarさん、そして毎月ご参加いただいてるお客様のお知り合いとのこと。大変ありがたいです(しかも有休とっていただいたとか!)。

 駐車場には秋の七草、クズの花。ほんと艶やかな花です。見ようによってはドラゴンの顔みたいです。 


 いつものように車で大川山へ。

 森の入口に入る手前で出会ったのは、この秋、各地で絶賛、網張り中のジョロウグモです。この秋は特に多い気がします(クモが苦手な方はごめんなさい)。

 

こちらは大川山の別の場所で撮影したものです

 ジョロウグモはその色からもよく目立つメスが真ん中に陣取って獲物を待ち構えています。そしてよく見ると写真の右上には小さなオスがいます。メスの巣に居候しているのです。

 オスは下手に動くとメスに食われるので普段じっとしています。でも、今回はなんだか変な動きをしていますよ。

 メスは捕まえたカメムシを食べています。オスはメスが餌に気を取られている間に交尾しようとしているのです。近づいては逃げ、近づいては逃げを、みんなで10分ほども見ていたでしょうか。

 普段は「クモなんて!」と思っていても、その「食われるか、子孫を残せるか」の必死の努力を見ていてるとだんだん「頑張れ!」という気持ちになってきます。

 結局10分以上見ていたのですが、なかなかうまくいかず。名残惜しかったのですが、森に入りました。遊歩道では大きなアワマイマイの殻を見つけたり、咲き始めたテイショウソウにも出会えました。

 

大きい!

 
 散歩が終わったら森のデッキ(キャンプ場のテントサイト)で待ちに待ったランチです!今回も栗ご飯や鮭など、旬が盛り込まれたランチをみんなでいただきました。
葉蘭(はらん)に載せて

 一品一品、シンプルでありつつ、絶妙な調味でとっても美味しいです。numarさんのご飯目当てのみなさまも幸せそうです。

 豊かな自然、みんなで食べる美味しいご飯、それだけ十分、最高の休日ですね。
 ご参加いただいた皆様、「季節を食べる食卓numar」の淵上ご夫妻、ありがとうございました!

季節を食べる食卓numar(インスタ)

2025年9月17日水曜日

夜明けの森さんぽ

 夜明けの森さんぽを開催させていただきました。

 日の出は5:45集合は山の麓に5:15です。私が集合場所についたのは5時前、すでに白みはじめていました(厳密に言うと日の出の1時間半前ぐらいから少しずつ明るくなります)。まだオリオン座が見えていました。

 集合時刻には東の空に飛び抜けて明るい明けの明星(金星)、南の空にはシリウスがきらきらと輝くのみになっていました。それでも夜明けまではまだ30分あります。雲もでていてちょっと心配です。

 いつもの大川山(標高1,043m)に車で向かいます。

 標高800m地点にある展望台で途中下車。すっきりとした日には瀬戸内海の向こうの岡山や小豆島も臨めます。今回はここで日の出を待ちます。

 にぎやかにさえずるのはソウシチョウ。どんどん明るくなっていきます。

 もう日が出た頃と思われるのですが、雲があってなかなか拝めません。

 周りの景色を眺めながらお客様とお話していると「あっ、でた!」。雲の上にお日様が顔を出しました。


 お日様の光のなんと明るいこと、そして肌に届く暖かさ。

 生かされている、という気持ちがわき起こります。

 よく考えてみれば、私たちの体温のもととなる食べ物、野菜もお肉も元をたどっていけば太陽のエネルギーが姿を変えたもの。私たちの温もりはお日様の温もりです。

 
 お日様を浴びて心身ともにチャージした後は森のさんぽへ。日の出を待ったので、今回は短めさんぽです。


 サンゴみたいなキノコやイタドリの花のような、なんだか「湧き上がる生命」を感じさせる仲間たちに出会って帰りました。

 ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

 (写真はお客様提供のものも使わせていただいています。ありがとうございます🙇‍♂️)

2025年9月15日月曜日

森さんぽ&焚き火ランチ

  お客様から親子三代での森さんぽ&焚き火でつくるアウトドアランチのご依頼をいただきました。

 いくつかご提案したランチメニューの中で選んでいただいたのはジャンバラヤ。アメリカの炊き込みご飯です。サラダとスープも作りましょう。

 秋の始まりが感じられる大川山の森。標高1,000mあるため森の中は25℃ほど。そよ風も吹いて心地よさいっぱいです。


 森のさんぽでホトトギス(ヤマジノホトトギス)などの花々に出会った後はキャンプ場で調理開始です。

 ナタで薪を割って火を起こしたら、ジャンバラヤの野菜類やお米(長粒米)を炒めてケイジャンスパイス、トマトソースなどと一緒に焚き火で炊いていきます。



 焚き火をするだけでも楽しいのに、みんなでごはんを作るともっと楽しいですね。

サラダは地元特産のいちじくを使って


そしていただきます!

 ジャンバラヤのスパイシーな風味といちじくの甘さのあるサラダがとてもいい感じでした。

 意外に好評だったのが、空芯菜とシメジのスープです。


 私、いれる予定だったコンソメを忘れてしまって、塩だけで調味したのですが、「入れないほうが美味しいと思う!」と言っていただけました。お客様の優しさも塩梅のうちです。

 ご飯の後はおやつの時間です。お客様が持参された甘古呂餅(かんころもち、長崎県の名物)を焚き火で炙ってお茶にしました。さつまいもの甘さと芳ばしさに顔がほころびます。

 

 心地よい森の中、美味しいご飯に焚き火、楽しくお話した時間はあっという間に過ぎていきました。

 ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

心の音叉

  先日、出張先の宿(素泊まり)から、朝ご飯を買いにコンビニへ向かった時のことです。


 中には私と同い年ぐらいの女性店員さん。商品棚の前にいると「私、邪魔かな?」と思うぐらいちょっとバタバタされていました。

 そんな感じでレジでもそれほど愛想もなくおにぎりを買って店を出ました。

 店を出てふと目に入ってきたのは、箸が入ったままぺちゃんこになった味噌汁カップ2つ。

 とりあえず拾ってまた店内へ。しかし、観光客が多い土地柄のためかゴミ箱がありません。

「嫌な顔されるかな…」とちょっと不安に思いながらもレジへ。

 するとさきほどの店員さんが、マスク越しにもはっきり分かる嬉しそうな瞳で「ありがとう」と両手を差し出してくれました。

 その語尾上がりのトーンの「ありがとう」を聞いた瞬間、私の心のなかに「こちらこそありがとう」という思いが生まれました。まるで音叉の共鳴のように。

 真に心がこもった表情・言葉・動作はこんなにも人の心に響くことを身を持って体感させてもらいました。

 そんな感謝ができる自分でありたい、少しでもそうなろうと思えた朝でした。


フリー素材より:みんちりえ(https://min-chi.material.jp/

2025年9月14日日曜日

森から教わっていること

  森に入ると、木々や草花、虫や鳥たちが、その生き方を通じていろいろ教えてくれているように思います。

 森を歩きながら私なりに学んでいることを少し書かせていただきます。


1.生命は多様だ

 森を眺めると、高い木もあれば低い木もあり、シダや草、コケも生えています。

 目には映らなくてもさまざまな動物や虫たち、菌類たちも暮らしています。

 もともとはただ一つだった生命。

 そがいまや無数に枝分かれし、それぞれにユニークな生き方をしています。

 その多様性が森の美しさと循環する豊かさを生み出しているようです。


2.すべてがつながっている

 クロモジの木の前で深呼吸をしてみました。


 私が吸った息には、クロモジが太陽の光を浴びてつくった酸素が含まれています。

 その酸素は私の体の一部となります。

 私が吐いた二酸化炭素は、やがてクロモジに取り込まれ木の一部となります。

 私たちに取り込まれなかった酸素や二酸化炭素は大気の一部となって漂います。いつか誰かの一部になるでしょう。

 私とクロモジ、太陽、大気、そして他の生命まですべてがつながっています。


3.食べる、食べられるは生命の循環とバランスを生む

 遊歩道をふさぐようにジョロウグモが大きな巣を張っていました。

 小さな虫がかかり、静かに食べられています。


 食べること、食べられることは生命のつながりの典型です。

 誰かの命が、誰かの命を支えます。

 食べる・食べられる関係が、お互いの関係にバランスを生み出します。

 食べる側もやがては死を迎え、大地や大気に戻り、いつか新しい命を育てます。

 食べる、食べられることが、循環と均衡を生み出しています。


4.競争は創造と共存にもつながる

 大きくなったコナラの下で、枯れたネジキの木を見つけました。

 かつては光を浴びて鈴なりのまっしろな花を咲かせていたことでしょう。

 自然界には食べる・食べられる以外にもさまざまな「競争」があります。

 生き残るための競争も大きな視野で見れば、「より環境にあった生き方を生み出す(選ばれる)コンテスト」という意義も大きそうです。

 競争は創造とも強くつながっているようです。


5.変わることで継続する

 トチの丸い実がたくさん落ちていました。みんなまんまるです。


 生命は「遺伝子」によって受け継がれていきます。

 遺伝子は自分をコピーして命をつないでいきます。

 しかし多くの生き物では、子どもは親と少し違う遺伝子になるようにできています。

 だからこそ、多様さが生まれ、環境の変化にも適応していけます。

 生命誕生後38億年もの間、生命が続き、豊かな循環する自然が生み出されたのはこの変われる仕組みのおかげが大きいでしょう。


6.全ての生命は兄弟姉妹である

 遊歩道にシラヤマギクが咲いていました。

 キクの仲間は進化の過程ではかなり最近現れた新しい仲間です。


 その傍らにはコケがまるく生えていました。

 コケは約5年前に出現したとても古いタイプの植物です。


 見た目はだいぶ違いますが、キクもコケも植物です。

 実は植物も動物も菌類も、すべての生命は38億年前に出現した共通かつただ一つの同じ祖先から進化しています。

 古いタイプの生命も、人間もすべての生命は等しく38億年の歴史を持つ兄弟姉妹です。

 

7.死が生を支えている

 アザミの花にやってきたマルハナバチが蜜を集めている途中で動かなくなりました。

 そっとさわっても動きません。どうやら寿命を迎えたようです。


 さらに歩くと、カケスの羽が散らばっていました。

 弱っているところを他の生き物に捕らえられたのでしょうか。


 死は一つの生命にとっての終わりです。

 一方で、その死は他の生命を支えています。

 食べられることは直接的に、死によって次の世代が生きていくために必要な場所や餌などが譲られることも他の生命、次の世代の生命を支えています。


8.私達は大きな生命を生きている

 森を歩いて気づいたのは無数の個性のつながりと循環でした。

 それはまるでインドラの網(*)のようです。


 違う見方をすれば、個々の生命は、大きな海の一つの波のようなものかもしれません。

 全てが繋がりつつも表面的には一つひとつの生命として顕れている。

 つながりつつ、時にはもとの海に戻っていく。そんなふうにも見えます。


 どの生命も、他の生命や自然環境から切り離されては生きてはいけません。

 私たちも木々もシカも草花も鳥たちも、太陽のエネルギーであり、大気であり、大地であり、他の生命なのです。そこには上下や優劣はありません。


 大きな生命の一部でもある私たちはどう生きていくのがいいのだろう。

 森の中でそんなことを考えてみると、また違った生き方が見えてくる気がします。 


(*)インドラの網(因陀羅網)

 仏教思想において、帝釈天(インドラ)の宮殿に飾られた網のこと。網の一つひとつの結び目に宝石が結びつけられていて、それぞれが互いの姿を無限に映し出している。世界のあらゆるものが互いに深く関係し合っているという仏教の「縁起」や「重々無尽」といった世界観を表している。


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 上に書いたこと、中には見当違いなこともあるかと思います。

 でも、こんな森(世界)の見方が、世の中をすこし住みやすくしてくれるような気がしています。

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