2026年7月2日木曜日

 こんにちは。森と星空のガイド横山昌太郎です。いつもありがとうございます。


7月になりました。私が住むまんのう町琴南地区では昨夜の深夜から未明にかけてかなり降りましたが、みなさまの地域ではいかがでしたか。


この時期、雨が降るたび草たちがぐんぐん伸びてきますね。

私がお借りている家の庭はかなり広いので、草刈り機を使っても1時間強かかりますが、2週間も経つとまたボーボーです。

草たちの生命力、特に荒れ地や荒廃地での生存に特化したいわゆる雑草たちの生命力には脱帽です。


でも、彼らにも大きな弱点があるのです。そのご紹介は最後に…


■今月のツアー

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今年もかなり暑くなりそうですね。森のツアーは基本的には標高1,000mの大川山で開催します。

大川山の森の中は気温が平地よりも10度以上低くなることもしばしばです。

避暑と森を楽しむのを兼ねてお出かけされるのはいかがですか?


星空ツアーでは、いよいよ天の川も見やすい時期となってきました。

夜空にぼおっと浮かぶ天の川、双眼鏡で眺めるとまさに無数の星の集まりです。

星空観察は標高700mのフィールドで行いますので、こちらも涼しさが楽しめます。


なお、少し先ですが、今年もペルセウス座流星群のツアーを行います。

今年は新月に重なるので、とてもいいですよ。ご検討いただければ嬉しいです。


■後記

雑草たちの弱点、それは「光」です。

当たり前に思えますが、刈っても刈っても生えてくる雑草たちは、進化の歴史の中で河口など荒れる場所や、しょっちゅう動物に食べられる草原などの場所に適応してきています。

上に大きな木などが遮るものがない場所なので、強い光を必要とする種が多いのです(イネ科など)。

だから、自分の近くで木が高く育つなどして少し光が弱くなると彼らは弱体化してしまうのです。


…と、それがわかっても、我が家の庭を屋根で覆うなどはできません。今月も暑さに負けず草刈りします。

(29日の森さんぽではそんな話も含めて植物の進化をご紹介いたします)


しばらく空いていたブログも少し書いています。ご覧いただけたら嬉しいです。

https://yokoyama-shotaro.blogspot.com/


今月もどうぞよろしくお願いいたします。


2026年6月18日木曜日

森を歩き、星空を見上げて③「森で自分に還る」

森の中を歩いています。

普段歩く人も少ない落葉樹林の小道。

梅雨の晴れ間の森は緑も青空もまぶしく、水分をしっかり含んだ土は柔らかく一歩一歩を受け止めてくれます。


普段私たちは街の中を歩いている時、たいていどこかへ向かっています。

なにかの役目や用事があります。


けれど森の中では少し違います。

急ぐ必要ははありません。

なにかをするために歩くのではないのです。


ただ森の木々を眺め、土を感じ、落葉の音に耳を澄まし歩いているうちに、心が少しずつ静まっていきます。


木の上で小鳥がさえずっています。

どこにいるのでしょう。なかなか見つけられません。


歌の聞こえる方に目をやり耳を澄ませます。

すると聞こえてきたのは別の鳥のさえずりでした。さらに、奥からも違う鳥の声がします。


鳥ってこんなにいろいろいたのでしょうか。


立ち止まって静かに驚いていると、頬をなでるように樹木の間を風が通り抜けていきました。

少ししっとりした心地よい風です。

その風はほのかな香りを運んでいました。


どこからくる香りでしょう。



ああ、すぐ近くにスイカズラが咲いていました。

大きな木が倒れて日当たりの良くなっていた場所に花を咲かせていたのです。

すぐ目の前にあったのに鳥の歌に気を取られて気づいていませんでした。


金銀花とも呼ばれるスイカズラの花。

白から黄色に移ろっていきます。

その「白」と「黄色」の境はどこにあるのでしょうか。

 

スイカズラのそばに橙色のモミジイチゴがありました。

一粒食べてみます。


痛っ。

トゲがありました。気をつけないと。


うん、思っていたよりも甘い。

自然な甘みってこういうことなんですね。

 

こんなにいろいろなことを感じたのは、いつ以来だったでしょうか。


鳥の声を聞く。

風を感じる。

花の香りに気づく。

色の移ろいを眺める。

小さな実の甘さを味わう。

 

どれも、何かの役に立つことではないかもしれません。

でも、そのひとつひとつに触れているうちに、私は少しずつ、自分に戻っていくような気がします。


日常生活の中で、私たちはいくつもの役割を担い、目的をもっています。


仕事をする人。

家族の中の誰か。

人に迷惑をかけないように。

誰かの役に立つように。


もちろん、それらは大切なものです。

けれど、いつもその役割や目的だけで生きていると、ときに自分自身がわからなくなるときがあります。


森は、そんな役割や目的を少し脇においてみることができる場所です。


ただ、そこにいる。

見えるものを見て、聞こえるものを聞き、感じるものを自分に正直に感じる。

それだけで、自分の輪郭が少し戻ってきます。


ただ、自分に還る。

そのためのきっかけを、森はそっと差し出してくれているように思います。


2026年6月8日月曜日

森を歩き、星空を見上げて② 「 感じて、知って、また感じる」

 自然の楽しみ方はいろいろありますね。心地よさや美しさを感じることを大切にする方、いろいろなものの名前を知ることを大切にしている方、アドベンチャーな体験を重視する方など。


 私はガイドとしては、生き物たちの独特の生態や、自然のうまくできている仕組みなどをお話しすることが多いです。

 一方、自分で森の中に出かける時は、何も考えない時間やただそこにいるだけの、いわゆる「ぼーっ」とした時間が好きで出かけています。


 私が学生時代よくお邪魔していた本屋さん(かつて名古屋にあったSaranaというお店)のご主人が、環境庁(当時)への就職祝いにくださった本が、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』でした。自然が好きな人の間では有名な本だと思います。



 その本の中の一節に「知ることは感じることの半分も重要ではない」というものがあり、よく引用されています。


 この文章は、たまに「自然とふれあうのに、知識はいらない」というように解釈されることがあります。しかし前後の文脈からすると、カーソンが言いたかったのは、知識の否定ではなく、まずは驚きや不思議に思う心が大切だ、ということだと思います。


 知識は感動を深くしてくれます。


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 目の前で揺らめく木々の葉。緑の色は私たちに安らぎを与えてくれますね。


 その緑色を生み出しているのは葉緑体。細胞の中にある小さな存在です。

 そのもとをたどると、20億年ほど前に独立して生きていた単細胞の光合成生物に行きつくようです。

 それが何かのきっかけで別の生物の細胞の中で共に生きるようになり、長い時間をかけて、今の葉緑体になりました。

 目の前の葉の緑は、ただ美しいだけでなく、そんな長い生命の歴史も秘めています。

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 夜空で輝く星の光。白く見える星、黄色く見える星、赤く見える星、青みを帯びた星などもあります。

(お客様撮影)

 それらの光は、シリウスなら約9年、ベテルギウスなら約700年、アンドロメダ銀河なら約250万年かかって、私たちの目に届いています。

 夜空を見上げる時、私たちはさまざまな時代の光を同時に見ているのです。


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 目の前を飛んでいくかわいいシジュウカラ。恐竜の子孫です。


(photoAC)


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 私たちが世界にふれ、感動や驚きが生じると、不思議に思う心、「どうしてそうなっているのだろう」と、その理由を知りたくなる心が動き出します。

 そこに、先人たちが積み重ねてきた知識が加わり、改めて自然や生物にふれると、ときとしてその感動はさらに深まります。


 そのように知識は世界を眺める時の「触媒」になってくれます。


 知識そのものも面白いものですが、なによりそのような働きがとても大切だと思うのです。それは、カーソンの言葉の一面でもあるのではないでしょうか。

 知ることからではなく、まず感じることから始める大切さ。それはしばしば頭でっかちになってしまう私の自省のための言葉でもあります。


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 感じ、驚き、不思議に思い、知りたくなり、改めて感じる。

 そんな繰り返しが私たちの世界の見え方、感じ方を、少しずつ深くしてくれたのではないでしょうか。


 私たちに感性と知性の両方が備わっていることは、本当に恵みだなと思いながら、カエルの鳴き声を聴いています。

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